職人を訪ねて【庄三郎 伊賀くみひもの糸切ばさみ】

Cohanaにまつわるモノ・コト・バそして人から、日本のものづくりを伝えていく【Story】。今回は『伊賀くみひもの糸切ばさみ』のくみひも部分を制作いただいている、三重県伊賀市の松島組紐店さんを訪ねました。

今回訪ねたのは…

松島組紐店さん

三重県伊賀市

 

絹糸の光沢が美しいくみひも

2016年に公開された映画でも取りあげられ、一躍脚光をあびた伝統工芸「くみひも」。その歴史は古く、起源は奈良時代まで遡ります。武具や仏具の紐に使われていた技術は、やがてきものの文化の上で開花し、沢山の組み方・技術が生まれました。

美しい絹糸の光沢は、今も昔も変わらず、人の心を掴み続けています。

Cohanaの「庄三郎 伊賀くみひもの糸切ばさみ」は、この地で4代続く、松島組紐店の職人の手で、ひとつひとつ丁寧に組み・巻かれています。今回、特別に話を伺う機会を設けていただき、伊賀へ向かいました。

伊賀といえば「伊賀忍者」。
あんなところにもこんなところにも、忍者のモチーフが。

工房兼店舗に伺いました

松島組紐店の工房兼店舗、「くみひもstudio荒木」に到着。風情のある建物です。

松島組紐店で現在、職人として活躍されているのは、3代目で伝統工芸士の俊策さん、「結び」が得意な奥さまのひろ美さん。そして4代目にあたる、ご子息の健太さんと康貴さん。さっそくお話を伺いました。

くみひもの歴史は奈良時代より前から

ー 松島組紐店の歴史を教えてください。

1932年、初代の松島芳男が「松島組紐取次店」として、伊賀市で開業しました。
くみひもの歴史からすると、1900年代はまだ最近のように思うでしょう?

ー以前、くみひもの歴史は奈良時代より前から、とお聞きしましたね。

もともと仏具や武具に用いられていた紐が、きものの文化の上で花開き、「帯締め」や「羽織紐」として人気を得て需要を伸ばしていきました。江戸・明治時代以降のことです。それ以前からきものの文化はありましたが、高価な「絹糸」や「金糸」を使っていたため、高級品だったのでしょうね。

一般の人々にも本格的に広がりを見せたため、くみひもを生業にした職人「=ひも屋」が増えたと聞いています。

工房に大切に飾られている組台が描かれた日本画

ーやはり、一般の人々の需要が広がってこその産業なんですね。

そうですね。それと同時に機械組みの需要も出てくるようになりました。2代目の育敬、私の父は機械組みを専門に行っていた職人で、母である文代は手組みの職人でした。

ですので、うちでは機械組みも手組みもやっています。ひも屋のほとんどがどちらか一方の中、この形態は珍しいと思います。

ー今回の取材では、機械組みと手組みの両方を見せていただけるということで

機械であれ、手組みであれ、知識と技術がなければ動かすことはできませんし、どちらも大切に考えています。あとで見てもらいますが、機械も古いものですから中には、壊れたら簡単にはつくり直せないパーツもあります。ひも屋の仲間から、古い機械のパーツを譲り受けたりもしますよ。

機械であれ、手であれ、大切な仕事道具ですからね。

ーありがとうございます。見せていただけるのを楽しみにしています。
ところで、4代目のお二人はどうしてこの道を選ばれたのでしょうか?近くで見てきたからこその、伝統工芸を継ぐことの大変さは感じませんでしたか?

兄の健太さん

「この仕事をやるんだろうな、と小さい頃から思っていたので、特別大変だとは思っていません。」

弟の康貴さん

「仕事って、どんな仕事を選んだにせよしんどい部分は必ずあると思いますし、特に伝統工芸だから大変、とは考えていません。それに、専門学校でデザインを学んだりするうちに、実家の組紐でこんなこともできるんじゃないか、と考えることが増えて…『継ぐ』や『継がなきゃ』というよりも、やってみたかった、というのがこの仕事を選んだ理由です。」

ー仕事のうえで大切にしていることはありますか?

くみひもや房そのものの品質はもちろんですが、物や技術の価値が下がらないよう、最終工程の梱包まで、きっちり・美しく仕上げることを大切にしています。

ー確かに、Cohanaの糸切ばさみを送ってくださったときは毎回箱を開けるたびに、感動します。梱包の難しい糸切りばさみが、箱の中に綺麗に収められていていつもありがとうございます。

ありがとうございます。

ー最後に、俊策さんへ。伝統を繋いでいくことへの思いや、これからの展望について聞かせてください。

昔は100人近くいた職人も、今では20人近くまで減ってしまいました。
分業制のくみひもづくりにおいて、作り方を教えてくれる師匠、一緒に作ってくれる職人がいなくなることは、産地の危機です。糸をつむぐ職人がいて、糸を染める染め師がいるから、それを私たちが組むことができる。染め師の後継者がいないのであれば、その工程から自分たちでやらなければならない。私の時代より、二人の時代のほうがもっと大変かもしれません。

ただ、2人が協力し、助け合えばなんとかなると思います。
実際、健太は今、職人に染めを習いに行っていますし、それぞれが学んだことを活かせば2人分になりますよね。

あと、伝統を継承していくことはとても大切だと思います。技術がなければ、革新は生まれませんから。

4代目のお二人の言葉や、俊策さんの仕事に対する思いをお聞きし、これからへの希望を感じました。

ありがとうございました。

インタビュー後、染めの段階から見せていただくことに。

Cohanaオリジナルの日本の伝統色5色を見本に、まっしろな絹糸が手際よく・鮮やかに染められていきます。


染めの担当は健太さん。見本と色があっているかどうか、半日蔭で確かめます。

乾いた糸は「座繰り」と呼ばれる道具で、数本にまとめられる。

 

次は、機械組みの工房へ

工房に入ると、かちゃかちゃとにぎやかな音に包まれ、美しいつくりの機械に遭遇しました。

▲8本の糸巻が猛スピードで回転し、くみひもが組まれていく。

趣き深いさまざまな大きさの歯車は、古い機械から譲り受けたものも多い。

「今は細番手の組紐を組んでいるところですが、もう少し太いものも組めます。

機械にかける前に、糸に軽く撚りをかけておくことが重要です。こちらが撚りの機械です。」

撚り機。向きを間違えると大変なのだとか。

インタビューで聞いていた通り機械は古いものでしたが、丁寧に整備され、大切に使われていることが工房の様子から伝わりました。

産地の歴史と伝統・技術を受け継ぎながら、新しいものを作りあげていく。
そんな職人たちの思いが込められた、絹糸と鉄が織りなす光景を、しっかりと目に焼き付けました。 

最後に、手組みの工房へ

▲高台、綾竹台、丸台など、組み台の種類もさまざま。

糸に張りを持たせるためのおもり「組玉」を順番に動かして、さまざまな模様を組んでいきます。静かな工房に、組玉がぶつかる音がやさしく響きます。職人お二人の手の動きはなめらかで、組む手順がすでに頭に入っているそうです。

Cohanaの糸切ばさみが作られる様子も、見せていただきました。

機械組みで組んだくみひもを3本どりで糸切ばさみに巻きつけていく

ボタンを通してしっかりと結ぶ。

手のひらに収まる小さな糸切ばさみの中に、職人の繊細な手仕事と工夫が活かされていました。

Cohanaの商品や取材を通じて、日本のものづくりの息吹を少しでもお客様にお伝えできればと願い、工房を後にしました。

帰り道、工房のまわりには夕焼けに照らされた田園が広がり、美しい景色に包まれました。

松島組紐店

くみひもの産地・伊賀の工房で、高台・丸台・角台を中心に、用途や文様に適した組み台を使い、組み味のあるひもにこだわります。絹糸の光沢を生かし、伝統の美しさをもとめ続けています。

所在地:三重県伊賀市
製作:庄三郎 伊賀くみひもの糸切ばさみ

http://www.iga-kumihimo.com/